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 春の終わり告げる雨が街中を包み込み足早に帰る人々の渦の中で、はふと、その足を止めた。
 高校生の頃、好きだったクラスメイトの男の子と初めて話せたあの日も、今日のような急な雨に街が包まれていたことを思い出した。

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 が高校二年生の頃。
 その日、たまたま朝の天気予報を見ていた母親が「雨降るらしいから」と言って傘を持っていくよう言われた。
 しかし鞄の底に折りたたみ傘が眠っていた。だからは「いらない」と言ったのだが、母親に大雨になるみたいだし、折りたたみ傘じゃ小さいでしょとまで言われてしまったので、荷物になる大きめの普段使っている傘も持って家を出た。
 そしてその日の午後。
 母親が今朝見ていた天気予報通り、雨が降り始めた。その雨は時間が経つにつれ雨足を強め、が下校する頃には、バケツをひっくり返したような激しい雨に変わっていた。
 朝から快晴だったこともありほとんどの生徒が、その急な豪雨に立ち往生し、男子生徒の中には鞄を盾に近くのバス停留所まで走っていく姿も見られた。
 昇降口で靴を履き替えたが昇降口の外に出ると、その屋根の下で空模様を伺っている高尾の姿があった。
「誰か待ってるの?高尾くん」
 空模様を見ていた高尾は、声のする方を見下ろした。
「いや、今日は俺ひとり」
 そう言って高尾は微かに、笑った。

*

 が高尾を意識し始めたのは、高校一年生の春だった。
 地元の高等学校、秀徳高校に進学した
 地元の高校とはいえ、電車やバスを乗り継いで通ってきている生徒も多く存在していた。その中でも秀徳高校はバスケの名門で知られ、そのスポーツ推薦で入学している生徒も多く、背の低いにとっては周りを壁で挟まれているような気分だった。
 そんなある日のこと。クラスにもそろそろ馴染めてきた頃に席替えが行われた。
 高校生初の席替えでの隣の席に来たのが、高尾和成だった。
 クラス全員が席替えのクジを引き終わり各自、自分の机と椅子を新たな場所に移動させている最中、突然後ろから声をかけられた。

「これ、落ちたよ」

 が振り返るとそこには、がいつも使用しているパステルピンク色のシャープペンシルを、彼女に向かって差し出している高尾が立っていた。
 クジを引き終わったが、もう必要なくなったクジの紙に落書きし、筆箱に片付けるのを忘れたまま、机を持ち上げた為、床に落ちたのを後ろから来た高尾が拾ったようだった。
「あ、ありがとう」
 男慣れしていなかったは少々ぎこちないながらも、高尾にお礼を申した。
 その後すぐ、隣の席にきた高尾は突然こんなことを言った。

ちゃんって、目、大っきいよな」

 その言葉にびっくりし、すぐ横にいる高尾を見たは、余計にびっくりしてしまった。
 高尾がの顔を覗き込むように見ていたのだ。
「やっぱり目、大きいよな」
 高尾は確信を持ってそう言った。
 そのことにの胸は張り裂けそうなくらい激しく脈打っていた。
 それから席が隣だからなのか、毎日高尾の方から「おはよ」とに声をかけてくるようになり、も「おはよう」と返していた。
 二年生に進級した際、残念ながらクラスは離れてしまったが、高尾がいるクラスに偶然にも小学校からの友人鈴音がいた為、彼女に会いにいく口実で高尾の顔を見に来ていた。
 そのためクラスが違っていても久しぶりという感じではなかった。

*

「ならどうして―――」
 ここにいるの?と言いかけては、高尾が傘を持ってないことに気がついた。
 は開きかけた自分のピンク色の傘を高尾に差し出した。
「これ、使う?」
「え、あ。いや、いいよ。俺のことは気にせず早く帰ったほうがいいよ」
「・・・・・・でも。早く帰った方がいいのは、高尾くんも同じじゃない」
「それはそうだけど・・・・・・。俺がその傘、使ちゃったらちゃんがビショ濡れになるじゃん」
「私、もう一本傘、あるから」
 そう言っては鞄の底に眠っていた折りたたみ傘を、出して見せた。
 高尾はそれは見て、観念したかのように、
「そんじゃ・・・・・・お言葉に甘えて・・・・・・」
 と言って、の普段使いの傘ではなく、折りたたみ傘の方を手にとった。
「え、そっち折りたたみ傘だよ。こっちの方が大きいし、濡れないよ」
 は、彼女の折りたたみ傘を開け始めた高尾に慌ててそう言った。
 すると高尾は、
「いいんだよ、俺はこっちで。女の子をビショ濡れにさせてしまうようなマネは、男としはできねーからな」
 と、そのんな言葉を残して、轍を通る雨の中を歩いて行った。


 翌日のお昼休みの時間。
 いつものように鈴音のいる、高尾のいるクラスにお弁当を持って行って彼女とお昼を食べようとした時、ちゃんと呼びかけられた。
「昨日はありがとな。助かったぜ」
 口元を軽く緩めた高尾が、に昨日借りた折りたたみ傘を差し出していた。
 昨日の今日というのに、折りたたみ傘は綺麗に乾いており、綺麗に折りたたまれていた。
「いや・・・・・・。昨日、本当に大丈夫だった?」
「あぁ、大丈夫だったぜ。ホントありがとな、ちゃん」
 高尾が笑みを見せたところで、彼は緑間に呼ばれた。
「ちょっと待って真ちゃんっ!・・・・・・なぁ、今度ちゃんとお礼さしてよ」
「えっ、そっ」
「今度の週末、俺部活休みだから、お礼に映画でも見に行かねぇ?」
 突然の高尾からお誘いに、頭の中でパニックを起こし、返事に困っていると彼が、「何か、用事あった?あったならまた別の日でもいいけど」と言ってきたので、はほぼ反射的に「だっ大丈夫です」と答えていた。
「なら、メアド教えて」
「え」
「クラス違うと、話するタイミングとかなかなか掴めないし、メアド知ってるといつでも連絡出来るしさ」
「あ、うん・・・・・・わかった」
 そう返事しては制服の上着のポケットから携帯電話を取り出して、高尾と連絡先の交換をした。
「そんじゃ、あとで連絡するな」
 高尾はその言葉だけを言い残し、緑間と共に教室を出て行った。


 高尾との約束通り、その週の末。駅前の映画館で映画を見ることになったので、その駅出入り口付近では傘と鞄を持って待っていた。
 にとって人生初の男の子と休日を過ごす日だというのに、あいにくの雨模様。然程(さほど)歩かないとはいえ、傘をさしていては並んでは歩けない。そのことが自分の中でショックだったのか、それとも顔を上げているよりマシだったのか、は高尾が現れるまで終始俯いたままだった。
「わりぃ、ちゃん。お待たせ」
 顔を上げ高尾の顔を見た途端、さっきまでのの暗い気持ちはどかに吹っ飛んでいった。
 高尾に促され、は彼の後ろをついていくように傘を開け、雨の中を歩き始めた。
 映画は最近公開されたばかりの人気カードゲームアニメショーン作品だった。
 メールでのやり取りの際、見る映画は何がいいかと高尾に聞かれた時、はこれといって見たい作品がなかった。そのことを正直に高尾に伝えると、「それじゃお礼になんないじゃん」と却下されてしまった。そこでは「私が見たい映画は高尾くんが見たい映画」とメールを打って、彼に送信した。すると高尾から「アニメって見る?」と返ってきた。は「見るよ」と返信にすると、最近公開されたばかりの人気カードゲームアニメーション作品でもいいと、文面に打ってあったので、私も見てみたいとさらに返信し、今日に至る。
 約二時間のアニメーション映画を見終わり、まだ時間あるから近くのゲームセンターでも行こうかという運びになり、映画館を出ようとしたときだった。
「あれ?」
「ん、どーしの」
 映画館に入ってから二時間以上は経っていたが、外はまだ雨が降り続いた。
は自分の普段使いの傘を開けようと取手近くに付いてある開閉ボタンを押すが、開かない。
「あれ?壊れちゃったのかな?ん〜・・・・・・」
 は項垂れながらも、何回も開閉ボタンを押すのだが、開く気配がない。
「なら、俺の傘に入る?幸い俺の傘、壊れてねーし。それにこの前、ちゃん傘、貸してもらったし。これで御愛顧(おあいこ)な」
 必然的に決まってしまった高尾との相合傘。
 嬉しさと恥ずかしさで躊躇っていると「早くしねーと、置いてくぞ」と意地悪なことを言われ、恐る恐る高尾がさす傘の中に入って、ゲームセンターへと向かった。
 その後一時間程ゲームセンターで遊び、帰りに高尾が新しいバッシュを買いたいというので、その買い物を一緒にしてその日は解散した。


 それから二週間が過ぎたある日。
 が登校し自分のクラスでクラスメイトと話ていると廊下からを呼ぶ声がし見ると、戸口のところに高尾が立っていた。慌てて駆け寄ったはどうしたの?と尋ねた。
「これ」
 そう言って高尾が出してきたのは、真新しいパステルピンク色の無地というシンプルな雨傘だった。
「これがどうしたの?」
 は状況が読めず小首を傾げた。
「前に出かけたとき、傘壊れたろ?もしまだ新しい傘買ってなかったら、これ使って」
「え、いや。そんな・・・・・・。いいよ別に。傘壊れたの、高尾くんのせいじゃないし」
 が受け取りを拒むと高尾はさらに話を続けた。
「でも今日、雨降るらしいよ。それも大雨」
「え、そうなの!?」
「らしいよ。今朝天気予報で言ってたし」
「本当に!?」
 鞄に折りたたみ傘が入ってるからといって、いつも天気予報を見ない。母親がいつも天気予報を見てる時間帯は、が家を出て行ってからだった。
 大雨とくれば、小さな折りたたみ傘では、自分をカバー出来ない可能性が高い。
 そう思ったは、高尾の言う今日は雨、それも大雨を信じて、その傘を受け取ることにした。
「本当にもらっていいの?」
「いいぜ。あ、それとこの傘。ちょっと面白い傘だから」
 そう言い残して高尾は自分のクラスへと戻って行った。
 そしてその日は、黒い厚い雲が太陽を隠すこともなく、が帰宅するまで雨粒の一滴も降らなかった。


 それからというもの毎日夜に高尾とメールのやり取りをするようになったり、休日高尾が部活動が休みの日は二人で出かけたりした。
 さらには今まで無関心だったバスケットボールのことを、ルールのことやポジションのことなどを勉強し、高尾がレギュラーとして出場する試合会場に、彼には内緒で足を運んだ。
 高尾が部活動をしている姿を見たことが無かったは、コート上で鋭く目を光らせ、司令塔となっている高尾の姿にクギ付けになっていた。
 その日の試合結果は秀徳高校の勝利を収めた。がその勝利をコートからは遠い観客席から祝いっていると、コートにいる高尾と目が合い、彼はに向かって親指を立て、笑顔を見せた。
 何百人といる会場の中からピンポイントで見つけられたことに、の胸はうるさい程の鼓動が鳴り響いていた。


 学年が最年長になり、幾重の時間が過ぎ去ったある日。それは雨と共にやってきた。

 その日は朝から空は重い雲に覆われ、お昼過ぎには地上を濡らし始めた。その後も一定の量も保ちながら放課後まで降り続いた。
 この日は日直ということもあり、放課後日直の仕事を済ませた頃には、生徒は殆ど帰宅していた。も日直の仕事を終わらせ、降り続ける雨の中へ入った時、校門前で傘もささず、立ち尽くしている男子生徒の姿が目に入った。近づいて見るとその男子生徒は高尾だった。
「どうしたの?高尾くん。傘もささず・・・・・・」
 は自分のさしていた傘の半分を、高尾の方に傾けた。
「・・・・・・高尾くん・・・・・・?」
 返事がない高尾にもう一度問いかけると、ゆっくりと彼の唇が動き始めた。
「あのさ・・・・・・、しばらく俺の前に姿見せないでくれる・・・・・・?」
「えっ・・・・・・」
 は高尾にそうな風に言われる覚えがなかった。
「あの・・・・・・何かあったの・・・・・・?何かあったなら・・・・・・」
「いいからっ、どっかいってくんないっ」
 その時の高尾の様子は、いつも明るい彼の面影がなかった。
 は高尾の手に傘がないことに気がつき、自分の鞄の中から折りたたみ傘を取り出し、そっと彼の足元に何も言わず置いて立ち去った。
 翌日、その折りたたみ傘は教務室近くに置いてある落し物ケースの中に入っているのを、登校してきたが発見した。

 その後、高尾と言葉を交わらせるがなくなった。
 廊下ですれ違っても、高校入学当時のようにただの同級生となっていた。
 高尾の高校生最後の公式試合。は見に行こうと思いその日の予定を空けていたが、あの日の高尾の言葉が忘れられず、結局彼の高校最後の試合は見に行けず、そのまま卒業を迎えた。

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 高校を卒業後、はそのまま社会人となり、早数年が経ったこんにち。
 風の便りで高尾は高校卒業後、バスケットボールの名門大学に進学し、プロのチームにもスカウトで入団したと聞いた。
 結局あの日、彼が言ったあの言葉の裏に何があったのかは分からないままだが、は高尾が今でもバスケットボールを続けていることが、嬉しかった。いつの日かインターネットの検索サイトで『高尾』と検索バーに打ち込むと『高尾和成』と予測変換で名が表示される日を来ることを願っていた。
 雨に濡れる度、桜の花たちが浮かびあがる彼の言った「ちょっと面白い傘」。
 高尾がこの傘をどこで買ったのか、どうしてにくれたのか。それだけじゃない。恋人というわけでも、手を繋いだり、キスをしたりと恋人らしいことも何もなかったのに、どうして休日にを誘ったのか。それらの真意は何一つ分からないままだ。
 今でもこの雨傘を今も大事に使い続けているのは、がまだ彼のことが好きなのだからなのかそれとも、単にこの傘が気に入っているからなのか―――。
 高尾がいなくなったこの街に今でも住み続けているは、彼と過ごした日々の思い出を胸の奥に大事にしまい込み、彼のくれた傘で雨の中を再び歩き出した。

雨が降る都度、あなたの面影を追いかけてる